スズナリで、ではなく、スズナリが。

昨日は住宅地にポスティングするチラシを、木村君、高田さん、鈴木さんが計4時間のあいだ印刷してくれた。
19時以降はSave the 下北沢の事務所にちらほらと人が集まり、折込作業をした。
作業後には高田さん特製のスープカレーも振舞われ、みんなで汗をかきながら食べた。

「今回のイベント、情宣(宣伝活動)が思うように進んでいないよねえ…」と話しながら、木村君に指摘されて、「あっ!」と思ったことがある。
それは、「道路によって破壊の危機にあるスズナリがいよいよ立ち上がった」ということが伝わりにくくなっていて、「スズナリでイベントを行う」ことが前に来てしてしまっていることが、苦戦の原因なのかもしれない、ということだ。
今回のイベントは運動の一部としてというより、文化イベントとして受け取られている傾向にあるのではないか。

それはいかん。

スズナリが再開発をめぐってイベントを「主催」までしちゃうこと、それははっきり言って、「事件」なんです。

下北沢の地元のお店による運動体「下北沢商業者協議会」が出来たのは、二年前の暮れのことである。
今までSave the 下北沢下北沢フォーラムがさんざん世田谷区に部外者扱いされてきたので、ここらで純粋に地元に根付いている人たちの「No」を、区に突きつけようとして始まったのだ。

2005年の秋から、Saveの人たちが約半年くらいかけて地元のお店に「かわらばん」を配って歩いた。そして、その年の暮れに「54号線見直し」への賛同署名を集めてみたら、賛同店はなんと500店舗を越えていた。
「下北沢商業者協議会」が出来たとき、Saveの人たちはすごく盛り上がった。
なぜなら、「Saveの活動が街の人々に支持されている」ということが、初めて目に見える形になって表れたからだ。「下北沢商業者協議会」は、Saveが作ったようなものなのだ。

こうして「下北沢商業者協議会」は、ジャズバーのLady Janeの大木さんが代表となり、Motherの山崎さんや三好野のしろうさん、りゅうの若尾さん、shelterの平野さんなどが中心となってスタートした。

年が明けた1月18日、「下北沢商業者協議会」とSaveの人たちは、500軒分の要望書を持って、世田谷区にサウンドデモをした。
「区長に会わせろ!」と口々に言いながら。区庁舎のロビーには平日の昼間なのに大勢の人々が詰め掛けて騒然となった。
でも、けっきょく区長はその日、出てこなかった。

その後、10月18日の事業認可までは、世田谷区に交渉を続ける毎日だった。
「下北沢商業者協議会」は名実ともに地元の人間の団体だから、交渉の最前線に立った。
私も大木さんと一緒に、何度も世田谷区や東京都に出かけた。
(だいたい午前中に面会がセッティングされることが多くて、ジャズバー経営の大木さんには大変だったようだ。)

実は、2006年は同時に、とてもつらい一年でもあった。
「下北沢商業者協議会」はSaveのように、「誰もが入れる市民運動」ではない。
「地元の店舗の運動である」ということが、会の存在意義だったからだ。
けれど、店舗の人はお店の経営が忙しいこともあり、賛同はしてくれるけれど会議に来てくれる人の数は伸びない。むしろ減る一方だった。
(再開発が実現してしまうことに危機感があまりないことも原因かもしれない。)

だから、仲間が街にどんどん広がっていくということなんて夢物語で、会をなんとか維持していくことに精一杯。事務局の私はプレッシャーも重なって、いっぱいいっぱいになってしまった。
(そして、大木さんといっぱい酒を飲んだ。って、これは言い訳。いやー本当によく飲みました。)

ねばりづよく交渉をして区長に面会をするところまでいったけれど、事業認可は10月に下りてしまった。
みんな、「今まで頑張ってきたことが報われなかった…」と、ガックリしてしまった。

しかしそのあと、瀕死状態だったお店の運動を救う、強力な仲間が登場した。
それが、スズナリの野田さんや山田さんであり、グランテカールの神宮さんであり、シネマアートンの岩本さん、zu innの天野さん、彩季苑の丹羽さんである。
彼らが中心メンバーに入ってきたことで、「下北沢商業者協議会」は息を吹き返した。
なかなか盛り上がらなかった地元の店舗の運動も、きっと盛り上がっていけるのではないか。
声を上げて待っていたら、応答する人はいるものだ。はじめてそう思うことが出来た。

そんな流れの中、今回のSHIMOKITA VOICEのイベントが今年の夏前に決まった。
老舗の劇場「ザ・スズナリ」が運動の中心にいきなり飛び出して、イベントを自ら「主催」する、と言い始めたのだ。
それってはっきり言って、「運動の成果」じゃないですか?今まで運動をやってきた人全員の。

ちょっと長くなってしまったけれど、スズナリがイベントを「主催」することが「事件」である理由でした。
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by shimo_voice | 2007-08-07 04:08


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